貫一の日記

何でも書くやつ

チェンソーマン84話を読んで

うーん、幻滅って感じ・・・。

 

話の進みが速いってのは単純に美徳だと思っていたんですが、これほど焦らされるものがないのも虚しいもんです。

マキマさんの小物感が加速しています。ただ岸辺みたいな小物に対して問答するほどですから、これは高揚しているんですね。マキマさんは昂ぶっておられる。だから小物みたいにペチャクチャしとるんですな。

 

マキマさんの口から様々な情報が語られましたが、実際問題として、新しい情報はなんにも入っていません。ただ、推測のための材料はあります。

印象的なセリフが1つ。「それほど~な事はありません」のくだりです。これはとても強い言い回し。並ぶものがない最上級の欲求です。それに応じて枠を縦にぶち抜いて顔面ドアップでセリフを吐かせています。

これを本命とすれば、それより前の長い口上は建前とも言えます。マキマさんはチェンソーマンの餌食となるためにここまで来たのかもしれません。

純愛ですなぁ。デンジは振られてしまったんですが。

 

こうして考えてみると・・・マキマさんはチェンソーマンになりたかったんですね。

助けを求めたものは皆殺し、求めたものの敵も皆殺し。多くの敵を作るが、それでも生き返る。マキマさんは確かにチェンソーマンでありました。

建前とは己がチェンソーマン足り得るための準備にも等しい。残数無限の再現や救済と虐殺の繰り返し・・・この環境を整えるために国に属したと見ることもできそうです。

その果てにチェンソーマンとしてチェンソーマンと対峙する。これがハイライトとなるわけですね。うーん、デンジの滑り込む隙がない。

 

こうなるとですね。デンジはチェンソーイズムの破壊者とならなきゃ話になりません。二人のチェンソーマンを打倒して愛を取り戻す。

・・・死んでるのに?無理じゃん。

 

[fin]

 

 

 

 

チェンソーマン83話を読んで

やはり葛藤のシーンはカット。

週間でやろうとしたら良いページ稼ぎになると思うんですが、サクサク話を進めてきますね。これがこの作者の最も良いところ。

葛藤なんてのは小説の方が読みやすいんですよ。漫画で葛藤を表現するってのはナンセンスだと思います。表現技法として秀逸なものがあれば良いのでしょうけれど・・・。

 

マキマさん劇場がトントン拍子に続いていまして、ここにデンジ視点の何かを組み入れるとゴチャゴチャしてしまいそう。今のストーリーはデンジが主人公として動いておらず、主役のマキマさんが舞台のど真ん中で荒ぶっている状態。デンジにスポットライトを当てても物語は何一つ動きません。

この関係はどこかで変化するのでしょうけれど・・・。とりあえずは「チェンソーマン」がガンガン動きまくってオッケーみたいな感じ。

 

・・・

 

あれを「チェンソーマン」とマキマさんは表現したわけですが。

「デビルマン」とか「キン肉マン」とか、「~マン」は基本的に人間的な存在と言えるでしょう。「アンパンマン」とか「バイキンマン」とかもそうです。

完全無欠の人間ではないけれど、我々人間が理解する域にあります。「デビル」「筋肉」「あんぱん」「バイ菌」を理解することは難しい。それらに人格を与えたことで「マン」がつくわけですね。

例え装置でしかないヒーローであっても、人格はあり、人間らしさがある。それはチェンソーマンも共有する理屈ではないか。

 

とまれ、そのヒーローの登場と引き換えに主人公が死んでしまったようです。

死が確定したのかは分かりません。ポチタとの契約は2つあり、ポチタとデンジは助け合うことが最初の契約です。

デンジが契約を破る前にポチタが助ける・・・その結果としてチェンソーマンが登場した可能性。そして死亡したデンジを助ける手段をポチタが持つ可能性。このどちらかでしょう。

あくまでデンジが完全に退場していないのであれば、です。主人公交代をガチでやるならばデンジは「主人公のフリをした脇役」であっただけのこと。ピエロにすぎる・・・。

 

王道ならば、チェンソーマンの在り方からデンジは学びを得て、成長し、チェンソーマンの後継となる・・・みたいな。最終決戦でデンジ復活みたいな。

あるいはデンジは充電期間に入って、充電が終わったら自然とまたデンジは生き返る的な。いずれにしてもポチタとデンジの人格が交代したようなイメージですか。

死んだデンジを生き返させる!みたいなストーリーだと違うタイプのファンタジーになりますな。

 

読者の視点となる主人公であるデンジが完全退場するってのは考えづらいんですよね。デンジがいないと物語が進む様子を読者は見られない。

・・・

あぁ、ここで話を飛ばしてしまうのもありです。どうせ読者の追いたいキャラクターは全滅していますし、チェンソーマン&マキマさんのコンビが成立するならば物語る対象がありません。

 

[fin]

 

チェンソーマン82話を読んで

ここで父親の話がサートインされました。

「少年の成長に父親の存在が不可欠だから『4月と君の嘘』は物語として微妙」としたのが私の実姉でありまして、「あれは母が父役と母役の2つをこなしている」としたのが私でありました。

チェンソーマンは少年の物語で、デンジの精神的成長の物語で、デンジ自身の精神は大変幼いものであったことに違いない。

その幼いデンジ君が騙されてしまうのは青年マンガ的で、少年ジャンプというよりヤングジャンプな話でしょう。

 

さて、ここから少年ジャンプに戻すためには友情パワーというか仲間の手助けが必要です。もうデンジ単独では詰んでいます。

少年の懊悩を描くのは少年ジャンプらしくありませんが、デンジは少年ジャンプの主人公なので、懊悩からでも話は続けられるかもしれません。さっぱりした性格というか、私みたいにネチネチしていませんのでね。悟空とかの系譜です。

「悩むことを放棄してピンチを招いた」というデンジの状況は少年ジャンプのバトル漫画っぽいかもしれませんね。笑えます。

 

甘いこと考えて特攻したデンジ君を助けてくれる仲間はいるのか・・・というと、いない。オッサンと高校生くらいしか候補がありません。

ただ、ちょっとシリアス回が続いていますんで、ここらでコーヒーブレイクってのもいいかな。オッサン&高校生じゃシリアス継続なので、コベニ一択。

ああいうおバカキャラに真理突かせて主人公を立ち上がらせるってのも、まぁ、近頃ではセオリーです。ベタな展開じゃないんですけれどね。

ベタな展開といえば、ここで主人公が完全に塞ぎ込んでしまうパターンです。未来の悪魔のこともありますし、ベタに契約破棄となるのが順当ですね。

ここからデンジが巻き返す展開は引き伸ばしに似ています。おとなしく堕ちとけ。

 

うーん・・・物語って大なり小なり男女関係が重要なんですが。

救済を望んだデンジに対して「お前に救いはねぇから!あったとしても全部ぶっ壊すから!お前に幸せを得る権利ねぇよ!」と宣言ぶち上げたマキマさんです。

マキマさんとデンジの関係は教育係と教え子、上司と部下、女と男というよりも、母親と子どもなんですよね。彼女が話した通り、デンジのために精一杯の環境を整えました。

母親は与えたおもちゃを一つずつ叩き壊し、困り果ててすがりつく子どもを蹴っ飛ばして罵倒したわけです。そりゃ笑います。おもちゃを壊されて、おもちゃを壊した相手にすがりついてきたんだから、そりゃ笑います。

ここで一片の情があれば「笑ってごめんなさい」という話。ところがマキマさんにゃそれがない。ネタバラシから一気、詰ましにかかりました。鬼畜生の振る舞いです。

 

デートが袖にされた段階で詰みが見えているわけですから、手駒を全部使って総力戦です。ということは、ここを凌げばデンジにチャンスがありましょう。

 

凌ぐこと=契約破棄回避ってこともないでしょう。契約破棄までの道のりは揺るがない。それが揺らいでしまったらマキマさんが馬鹿みたいになってしまう。デンジは二度目の死を迎えなくてはならない。

あるいは、マキマさんの面目を潰さない様にして契約の破棄を回避するか。作者の味付け次第なんで、不可能とも言えませんけれど。マキマさんの全能感が揺らぐ可能性はありますよね。

 

 

[fin]

 

 

 

チェンソーマン81話を読んで

惨殺予告から立て続けの展開。マキマさんとのデート回は谷間に設けられる落ち着きのある展開だったんですが、ここにきてマキマさんのラスボスムーヴが加速しています。

ポチタとデンジの契約を破る方向で話が進んでいるわけですが、その通りに捉えて良いものか悩まされます。

 

マキマさんが最初からラスボス級の格を持っていたのかが一つの焦点。

アメリカンな銃の悪魔と争えるくらいに今は強い。その強さが最初からあったならば、デンジの存在意義が問われます。マキマさんだけでいいじゃん。

これに説明をつけるとすれば、マキマさんがこの格を得たのは最近であるという話に。デンジ争奪戦のたびに「支配の悪魔やべぇよ」という意識を植え付けて、能力の底上げを図った、と。

それならばデンジは囮役にすぎない。マキマさんが最強になった以上は、廃棄すべき存在でしょう。

 

ところがマキマさんは虎の子を起こそうとしています。地獄の支配には戦力の補強が必要である、ってのは分かります。

何故このタイミングなのか。計略が成るのを待っていたとも言えますが、デンジばかりをターゲットにした場合、かなり回りくどい話です。金と女と食い物を与えりゃデンジは堕落し、そこにひと押しを加えりゃ契約を破ったでしょう。

それをせなんだは・・・「普通の暮らし」より以前にある契約が理由なのかも分かりません。「お前を助けてやるから…俺を助けろ」

明確な敵意を向けられた場合、心臓ばかりとなったポチタはデンジを助けようとするのではないか。それこそが扉の場面であって、「デンジが契約を破らない様に、契約通りに助けている。」と。

 

故に、チェンソーの悪魔を殺さずにデンジを殺すには回りくどい手段が必要だった。

ポチタと同等の絆を持つ家族をデンジに持たせることです。ポチタは「普通ではない暮らし」を共にした戦友であります。ポチタとの契約を破らせるには、それと同等の絆がなければならない。

そしてそれは「普通の暮らし」の中で育まねばなりません。「普通ではない暮らし」の中で育まれた絆を、「普通の暮らし」の中で育ませなければならない。この解決策がデンジの人間形成でした。

マキマさんはデンジへ人間的成長を促し、家族の入手をサポートし、体を張って「恋」というものも教え込みました。天使(メインヒロイン)じゃん・・・!

 

でもこれってスレスレの作戦ですよね。

マキマさん>アキ&パワーでも、マキマさん<アキ&パワーでも、「普通の生活」を崩せないわけですよ。マキマさん=アキ&パワーでなければ成立しなかった。

レゼや姫野が(間接的に)殺された理由はバランスを著しく壊したことなのかもしれません。レゼはマキマさんを超えてしまったし、姫野は自らとアキ、マキマさんとデンジの組み合わせを画策した。イコールのバランスには邪魔な存在です。

そうしてバランスを整えながら、マキマさんは機を熟すを待ち、それが成ったのを確認した後にアキとパワーの殺害を計画した・・・という。

 

ははぁ、意外と筋が通る。

となると「デンジの殺害とチェンソーの悪魔の出現」がマキマさんの狙いでいいのかな。闇の悪魔がチェンソーの悪魔の心臓を欲しがっていたので、地獄へ出現させるのは不都合なのかも。この世界でやればマキマさんが掌握出来る。

そうなったらチェンソーマンという看板は降ろさねばなりませんね。主人公がマキマさんに代わってしまうから。

・・・夢を見ることをやめなければセーフという考え方もありますが、果たしてどうなるやら。

 

[fin]

 

善意は全てを超越するのか

女性に多い・・・とするとステレオタイプな話になるのか、それとも差別となるのか、難しいところですが、とまれ、女性には「善意による行動は全て素晴らしいものである」とする風潮があります。男性で言えば「男らしいからオッケーだ」くらいのゴリ押し理論です。

 

男が相対的に馬鹿であることに間違いはありません。男は追い詰められると「それっぽければオッケー」みたいなことをやり始めますんでね。ありのままの自分を表現しようともがくのが女性で、ありのままの自分であればオールオッケーなのが男性です。

つまり男性同士ならば「サラリーマン金太郎」的な話が通る土壌があります。精神的な脆さが男性にはありますから、ここの急所を迂回して話を通すのが「男らしさ」というものでしょう。「精神的な削り合いはお互い身が持たないから、直球で話をつけましょう」と。

 

対して女性というのは精神の削り合いが主な戦場です。故に女性の方が陰湿である。

性格の良い悪いではないでしょう。女性は天皇賞春(京都3200m)で削り合うのが得意で、男性はスプリンターズS(中山1200m)で一気に終わらせるのが得意なのです。それだけの話。

そういった土壌の中で女性というのは「善意」という一つのキーワードへたどり着いたようです。「善意に依れば否定されづらい」と。

9の悪意による行動であったとしても、事後に1の善意をアピールすることで攻撃を受けづらいわけです。攻撃を躱す手段として「善意」ってのはものすごく有用です。誰だって善人でいたいわけですし、ともすると、誰もが自らを善人だと思いこんでいるかもしれません。

1の善意に共感することを強要する、とても強かな発想です。

 

ただ・・・女性の中にも男らしい馬鹿がいるんですね。衝動と善意を両立させようという馬鹿です。

男は衝動的に行動しても「男らしい」で突破できます。「サラリーマン金太郎」もそうですし、「今日から俺は!!」の三橋もこの類でしょう。ヤンキー漫画はみんなそうです。衝動が全てに優先する。

ここに焦点を当てた名作が「カメレオン」と言うべきで、その場その場の衝動で動く主人公が最後に「男らしい」と賛美される作品です。

この「カメレオン」方式は女性に通用しません。衝動に駆られる様を女性は肯定的に見ることが難しい。異性関係においてはオッケーなんですが、組織的行動における衝動は許されません。

 

面白いことに・・・組織的行動における善意ってのが男性にゃ許されないんですよね。

ここまで書いて気づいたんですが、ヤンキー漫画で善意を振りかざすキャラって不遇なんです。ヤンキーにボコられて、節を曲げて、偽善者扱いとなります。「今日から俺は!!」の伊藤もそうです。善意で動いてボコられるのが仕事。(伊藤は節を曲げませんけれど)

「良いことをしているからオッケー」じゃないんです。「良いことをしてる俺らカッケー」なんです。そして「良いことをしていてもそれを誇らない俺らカッケー」なんです。

ただ、それを物語でやると格好をつけすぎる。結果を善としても経過を汚す形をとり「結果を誇るわけにはいかない」というギャグに逃げ道を見出したのがヤンキー漫画と言えるでしょう。

 

暴力を至上とするヤンキー漫画なのでこの帰結はしょうがない。

ただ、実社会においてもそうであるような気がします。「世のためになることをしよう!」と言う男を、私(男)は胡散臭く思います。詐欺?

けれど「ある程度利益を上げながら世の中に貢献しよう」という話には聞く耳を持ちます。善ってのは利益とセットでないと胡散臭く感じるんですね。

また・・・例えば宗教家において救済と布教は多くの場合で表裏となり、それは当人にとって善でありましょう。しかし全ての人間にとって善であるかは微妙なところです。

善意が善として作用するかどうかって話。胡散臭いかは別として、近寄るかどうかはよく考えなくてはなりませんよね~。

 

このたぐいの善意と女性の善意はかけ離れていて、いうなればファッション善意ですから、まぁ、関係のない話です。

とまれ、男性は「あれは善意からの行動だったんだよ」と言われりゃ辟易とするでしょう。そこに善の意識があるかどうかではなく、善を働いたかどうかが重要なのです。不利益を被りゃ善ではありません。

そもそも言い訳アピールが始まる段階で善もクソもない。理解されない善意は善を成していないのです。成すべきことを成せなかった男の戯言は男らしくありません。

 

・・・善意を否定する気はなく。

ただ、衝動と善意のセット販売は本当にやめてほしい。性別を問わず、聞く方は何も利益がありません。「こういう理屈でやるべきだと思った」ならば話し合いになるじゃないですか。善意とかいうあやふやで尊い感情を言い訳に使うんじゃない。

 

[fin]

 

 

 

栗東トレセンで火事

栗東トレセンで火事があり4頭の競争馬が死亡しました。

こういった事故の全てを防ぐことは難しいし、今回はそうでないようですが、放火というケースもありましょう。また、馬を狙った犯罪は競馬史にもあります。生産者が保険金詐欺のために馬を殺すという事件もありました。

人間の不注意が招いた結果であっても、人間社会において責められることではありません。事故は起こる。しゃーない。

ただ、馬がその被害を被るというのは切ない話です。焼死ですし。

 

競争馬の多くは殺処分となるわけで、その結果が早くに訪れた、という身も蓋もなく、無情な話もまた、微妙に否定しづらいところです。

何十回、ともすると百数十回のレースを経験することなく逝ったことは、あるいは、救いなのかも分かりません。一種の安楽死と解釈することも不可能ではなく。

それを言えば人間もさっさと死んだほうが得なことでして、それを肯定的に捉えるならば、自死に必要な金額を用意してその人は早くにそうするべきであります。

そうしないのは天命を全うすることを尊く思う心があるわけでして、その意味で、4頭の競争馬は道半ばに亡くなったこととなります。

 

私は、見知らぬ畜生へ同情するほどの、有り余る情を持つ人間ではありません。その上で仕方がないとするわけで、まぁ、同士たる人間を庇う気持ちのほうが強い。

ホースマンは社会的責任を以て馬と接していて、人によっては愛情を以てそうしているでしょう。全てが全てそうであるかは知りませんが。仮にそうとすれば、見知らぬ畜生への情よりも、見知らぬ同士への情が優先されます。

仮に馬を想う心がそれの上を行くとしても、それを表現することは、各ホースマンより前にあってはならないはず。

感情の重みの差で表現の自由が縛られることもありません。が、インターネットという大きな場所で発露することは意外と大きな力を持ちます。それがプラスと働くパターンであると今回は考えられますが、全てが全てそうとなるわけでもなく。

 

オーナーは死を悼むファンの数にありがたさを覚えるかもわかりませんが、厩舎のスタッフは責められているようにも感じるかもしれません。

死を悼むというのは尊い行為ですが、それを広い場所で大々的に表現することには是非がありましょう。かといって、それを言わでも良いこととするわけでもなく。

うーん、なんとするべきでしょうか。もうちょっと広い範囲をフォローして発信する、気遣いみたいなものが要求される時代なんでしょう。

 

[fin]

 

チェーンソーマン80話を読んで 改め

チェンソーマンを立ち読みして考察するという習慣が出来ました。

あんまり映画は観ませんけれど、映画や小説を語るのは好きです。ただし、語る相手がいないのは不満。だからブログでごちゃごちゃ書く。

 

80話序盤はパワーとの生活が簡潔に描かれ、そして、デンジの中で早川アキの死及び殺害がトラウマとなっていることが示されました。

アイスで当たりを引く、という細やかな幸せすらトラウマの引き金となります。アキの遺産で手にした幸せ・・・とまで深く考えているのかは分かりませんが、実際のところ、彼の遺産を有用に使っている様子はなく。無意識かも分かりませんが、金をなくしてしまいたいのかもしれない。早川に縁のあるものは全て。

 

その後、デンジはマキマさんに拉致されて軟禁されて萌え萌えキュンしてしまうわけですが、最後の最後にド迫力のシリアスシーンをぶち込みます。

中盤のキーであった「銃の悪魔打倒の約束」です。1ページの間にデンジの表情が4回描かれます。呆けて、気付き、悩み、発想を得る。「マキマさんの犬になりたい」と。

 

まず「君は家族を殺した対価にマキマさんを抱くのか」って話でして、今のデンジにはそれが出来ません。とても理知的な行動です。

かといって「何も要らない」とするにはマキマさんの魅力に触れすぎました。マキマさんから幸せを得たいという気持ちと、早川への罪悪感がせめぎ合います。

そこで犬。マキマさんとの繋がりを保ちつつ、己の罪に触れない範囲。あるいは、己の罪を償う範囲。彼は早川殺害と引き換えに己の人権を差し出した。

 

しかしこれはデンジ自身が知っている様に、己のアイデンティティーを差し出したものではありません。彼は受動的であることに能動的な人物で、つまるところ、ドMなのです。

この点においても理知的です。小賢しいと言うべきでしょう。しかし微妙に賢しさがない。欲望が強い。後々になって「俺は早川を殺して幸せになろうだなんて思わない」とか言うんでしょうけれど、この選択は欲望が先立っています。腐れ外道ムーヴです。

 

 

「デンジが打算を働いた」ということは重い。まっすぐに外道であったデンジが欲望と理性を秤にかけて、両方を満たそうとした。彼はどんどん人間らしくなっています。

ここでポチタとの話に大きく戻りますが・・・。

ポチタは「デンジの語る夢の話が好きだった」というようなことを話しました。これがチェンソーの魔人が成立するキーです。

有り体に言えば「当たり前の夢」です。人(男性)が望む当たり前を「叶わぬ夢」としてデンジは切望し続けた。

ポチタがこの夢へ示した感情はなんであったのか。

 

ポチタはデンジと生活し、デンジとの生活を好ましく思っていた。最期には人格という大きな部分をデンジへ預けた。「デンジの夢を私に見せてくれ」。

ベターなところは「共感」でしょう。となるとチェンソーの悪魔は地獄で革命家でもやっていたのかな?当たり前を手に入れるために地獄で戦ってたの?

そんでこれは「契約」なんですよね。デンジが「当たり前の夢」を望まなくなったとき、契約違反となります。姫野先輩曰く「守れず破った方は死ぬ」とのこと。

 

打算というのは妥協でもあり、突き詰めると、夢の妥協にも繋がります。

早川の死は妥協の始まりでもあり、このまま身を持ち崩し続けると、彼は契約を違反することになる。そこもまた注目。

 

[fin]