貫一の日記

何でも書くやつ

栗東トレセンで火事

栗東トレセンで火事があり4頭の競争馬が死亡しました。

こういった事故の全てを防ぐことは難しいし、今回はそうでないようですが、放火というケースもありましょう。また、馬を狙った犯罪は競馬史にもあります。生産者が保険金詐欺のために馬を殺すという事件もありました。

人間の不注意が招いた結果であっても、人間社会において責められることではありません。事故は起こる。しゃーない。

ただ、馬がその被害を被るというのは切ない話です。焼死ですし。

 

競争馬の多くは殺処分となるわけで、その結果が早くに訪れた、という身も蓋もなく、無情な話もまた、微妙に否定しづらいところです。

何十回、ともすると百数十回のレースを経験することなく逝ったことは、あるいは、救いなのかも分かりません。一種の安楽死と解釈することも不可能ではなく。

それを言えば人間もさっさと死んだほうが得なことでして、それを肯定的に捉えるならば、自死に必要な金額を用意してその人は早くにそうするべきであります。

そうしないのは天命を全うすることを尊く思う心があるわけでして、その意味で、4頭の競争馬は道半ばに亡くなったこととなります。

 

私は、見知らぬ畜生へ同情するほどの、有り余る情を持つ人間ではありません。その上で仕方がないとするわけで、まぁ、同士たる人間を庇う気持ちのほうが強い。

ホースマンは社会的責任を以て馬と接していて、人によっては愛情を以てそうしているでしょう。全てが全てそうであるかは知りませんが。仮にそうとすれば、見知らぬ畜生への情よりも、見知らぬ同士への情が優先されます。

仮に馬を想う心がそれの上を行くとしても、それを表現することは、各ホースマンより前にあってはならないはず。

感情の重みの差で表現の自由が縛られることもありません。が、インターネットという大きな場所で発露することは意外と大きな力を持ちます。それがプラスと働くパターンであると今回は考えられますが、全てが全てそうとなるわけでもなく。

 

オーナーは死を悼むファンの数にありがたさを覚えるかもわかりませんが、厩舎のスタッフは責められているようにも感じるかもしれません。

死を悼むというのは尊い行為ですが、それを広い場所で大々的に表現することには是非がありましょう。かといって、それを言わでも良いこととするわけでもなく。

うーん、なんとするべきでしょうか。もうちょっと広い範囲をフォローして発信する、気遣いみたいなものが要求される時代なんでしょう。

 

[fin]